時代を超えるうるわしのニッポン

その潤いは太古から

うるしは、「うるわし・うるおす」が語源であるという説がある。確かに、漆器の艶やかな色合いを見ると、それもあるだろうと思わせる。だが、この「うるわしのうるし」は、現代人の日常から、ずいぶん遠いところにあるようだ。

 漆椀を日々の食事に使っている人は、どれだけいるだろうか。漆塗りの重箱はあるが、使うのは正月のおせち料理のときだけという家庭も少なくないだろう。扱いが面倒だから、高価だから、デザインがライフスタイルに合わないから……。そもそも、美術館に収まっているようなものでしょう?

 使わない理由はさまざまあろうが、「実は、漆のことをよく知らない」ということが、根底にあるのではないか。

 多くの人から縁遠いものと思われている、うるし。実は、太古の時代から、日本人の暮らしとともにあった。あんなところ、こんなことに、漆は利用されてきたのだ。

漆器

世界最古は日本にあり

漆は縄文時代から使われていて、世界最古の漆器は、7,000年前の中国のものとされていた。ところが、この説が覆った。北海道函館市で、漆を使った約9,000年前の副葬品が発見され、これが世界最古のものとなったのだ。時代は下るが、福井県や青森県八戸市の是川遺跡などからも、漆塗の櫛などが数多く出土している。

 椀・皿・鉢や壺、土器などの器の類、弓などの武器、櫛や腕輪などの装飾品と、縄文時代の漆製品は多岐にわたっている。そして、赤色漆製品が多く作られているのも、この時代の特徴だ。縄文人にとって赤は、特別な色だったのだろう。血や魂の色で、魔除けや復活・再生、隆盛を意味したのではないかという研究もある。

 塗料であり接着剤でもある、漆。赤い櫛は、縄文人たちが赤色顔料を作り、漆に混ぜて塗ったものだ。壊れた土器が、漆で補修されたものも見つかっている。漆工の道具類も出土していて、この時代にはすでに、現代に通じる基本的な技術が確立されていたことがわかるという。いずれにしても日常から祭祀まで、漆製品は、縄文の人たちの暮らしとともにあったということだ。

是川遺跡で発掘された縄文時代の木胎漆器

是川遺跡で発掘された縄文時代の木胎漆器(浅鉢)。是川遺跡は縄文晩期(3,000年前)の遺跡。木を削った木胎や植物で編んだ籃胎に漆が塗られている。(写真提供:是川縄文館)

出土した赤色漆で塗られたくし

出土した赤色漆で塗られたくし。是川遺跡で重要文化財の指定を受けた遺物の963点の内、101点が漆製品である。是川遺跡の川を挟んだ対岸の風張遺跡からは国宝の合掌土偶が出土している。(写真提供:是川縄文館)

頭から脚にかけての副葬品の肩当ての部分

頭から脚にかけての副葬品の肩当ての部分。軸糸自体を漆で染めたと思われる。放射性炭素C14年代測定法により約9000年前の遺物と測定された。世界最古の漆製品。(北海道函館市 垣ノ島B遺跡)(写真提供:函館市教育委員会)

後期後半の小型の注口土器

後期後半の小型の注口土器。全体に朱漆が塗られている。垣ノ島遺跡は、太平洋に面した紀元前7,000年~紀元前1,000年頃にわたる定住を示す集落遺跡。(北海道函館市 史跡垣ノ島遺跡)(写真提供:函館市教育委員会)

寺社の「荘厳」を演出

日光東照宮や金閣寺、岩手県平泉町の中尊寺金色堂などで、国産の浄法寺漆が使われたように、漆は寺院の修復・修理には欠かせない。建造物だけでなく、仏具や仏像にも用いられてきた。仏像ファンの中でも人気の高い奈良・興福寺の「阿修羅像」は、麻と漆だけを使って作る、乾漆という技法によるものだ。表面のひび割れを避けるため、高純度の漆が求められた。それは、金と同じくらい高価な材料だったといわれる。また、木彫仏像の仕上げにも漆が使われた。表面を金箔や金粉で覆う仕上げでは、接着剤の役割を担った。

 建造物で注目すべきは、藤原氏の栄華を今に伝える金色堂。その名の通り、金色に光り輝く外観が話題になるが、内部をよく見ると、漆工芸の粋を集めた装飾に彩られている。精緻な螺鈿が施された巻柱や須弥壇。黒漆を使った繊細な描線で仏像を描き、蒔絵で神々しさを添えている。卓越した技が凝縮された金色堂は、うるし芸術の最高峰と言っても過言ではないだろう。圧倒的な絢爛さは、まさに極楽浄土の世界である。

 京仏壇など、伝統的工芸品の認定も多い仏壇は、その家庭版ではなかろうか。かつて日本の家には、必ずといっていいほど設えられていた。市井の人々が毎日の祈りを捧げる、小さな寺院。だからこそ、贅を尽くしたものも作られたのだろう。さながら仏壇は、漆芸のショーケースのようなものだ。

興福寺に伝わる「国宝 阿修羅像」も、麻布と漆で造形された乾漆像である。(撮影:飛鳥園 興福寺:掲載許可済)

興福寺に伝わる「国宝 阿修羅像」も、麻布と漆で造形された乾漆像である。(撮影:飛鳥園 興福寺:掲載許可済)

うるしなくして文化なし?

漆は、日本人にとって、塗料や接着剤としての実用的な素材であるとともに、美意識を表現するものでもあった。具現化されているのが、武具・武器である。機能性に加えて、鎧や兜を装飾し、刀の鞘や鍔の意匠にこだわった。弓にも、漆を塗った。元々は防湿や保護のためだったが、のちに絵付けがなされたり、螺鈿・蒔絵などの装飾が施されたりするようになった。

 岩手の地で脈々と受け継がれている伝統工芸の南部鉄器にも、漆の実用と美が感じられる。鉄瓶作りの場合、仕上げの段階で使う。窯焼きしたあとに、漆の焼き付けを行う。さらに、おはぐろと呼ばれる着色処理により、漆の艶が奥に隠され、渋みのある風合いになる。

 海外からも注目される「金継ぎ」という日本古来の修復技術にも、漆が用いられる。割れたり、かけたり、ヒビが入ってしまった陶磁器を接着するためだ。継ぎ目に残った漆の跡を隠すため、金粉を使う。その色合いが風情となるのを「景色」と称する。昔の人は、わざと器を割り、金継ぎして別の風情を楽しんだとか。風流な話だ。

 いまも昔も、このように、漆は、日本の美と文化とは切り離せない関係にある。

金継ぎ

金継ぎはいま海外でも注目されている。「もったいない」の究極の美意識。
あえて楽しむほどに進化している。

庶民も漆器が欲しかった

北は青森の津軽塗から南は沖縄の琉球漆器まで、日本各地に漆器の生産地がある。特に、日本海側や盆地に多い。漆は、空気中の水分を取り込んで固体に変ずる特徴があり、湿気の多い梅雨どきに最も硬化するという。新潟県の新潟漆器、石川県の輪島塗・山中漆器・金沢漆器、福井県の越前漆器・若狭塗など、日本海側に産地が多いのも、その気候によるところが大きいのだろう。

 高価な漆を使い、手間暇をかけて作られる漆器。暮らしの中で使うといっても、ハレの日のため、あるいは上流階級のものと考えられても致し方ない。ところが、漆器は中世の頃から庶民にも使われていた。下地に柿渋を使い、上に塗る漆を1〜2層程度に簡略化。木地にする樹種もさまざまで、使う人の暮らしぶりに合わせたバリエーションがあったようなのだ。それほど工夫してまで、誰もが手にしたかったものだったということか。

人生をともにする友に

ウルシの樹液は器を美しく丈夫なものにしたが、実も昔の人々の生活を支えていた。果皮に含まれるロウの成分を絞り出し、それで蝋燭を作った。その炎は、温かみのある色だという。漆は、電気などない時代の暮らしを灯してもいたのである。

 そのような時代の日本には、深い闇が存在した。蝋燭を灯しただけの部屋は、仄暗かったことだろう。その暗さから生まれた「美」もあった。

  谷崎潤一郎は、随筆「陰翳礼讃」の中で、漆器の肌は幾重もの闇が堆積した色だと書いている。そして、蒔絵などに金色を贅沢に使ったのは、乏しい光の中における効果を狙ったものだ、と。なるほど、暗い部屋で控えめに光を放つ漆器には、えも言われぬ風情が漂っていたことだろう。

 明るさの中では、気づくことのできない美しさがある。だからなのか。近年、シンプルな無地の漆器が好まれるのは……。

 だが、どんなに時代が変わろうと、漆器の魅力は変わっていない。例えば、汁椀。手に持ったとき、しっとりと馴染む。熱が伝わりにくいから、熱い汁物を入れても持ちやすい。唇にあたる具合も優しい。手入れの方法さえ、きちんと理解し怠らなければ、長く使っていけそうだ。「長く」というところも、漆器の魅力である。使うほどに色合いが変わり、艶やかになっていく。この楽しみを知れば、きっと毎日使いたくなるだろう。

 日本の文化を日々の暮らしで味わう。それを、さりげなく実現できるのは、日常の食卓の漆器かもしれない。

暮らしもシンプルが好まれる時代のためか、漆器もシンプルなものが人気。

暮らしもシンプルが好まれる時代のためか、漆器もシンプルなものが人気。

参考文献 三田村 有純(著) 『漆とジャパン―美の謎を追う』 里文出版
山本勝巳(著)『漆百科』丸善
四柳 嘉章『漆の文化史』岩波書店
松田 権六 『うるしの話』岩波書店