昨日の自分を越えるため

漆掻き 砂子田宏雅さん

脳裏に焼き付く父の仕事

「よろしくね」。漆を掻き始める前、砂子田さんはやさしく木に語りかける。特に儀式のようなことはしないが、常に「お願いします」「ありがとう」という気持ちで漆に接している。
 曾祖父の代からすでに漆掻きだった家に生まれ、子どもの頃から父の進さんを手伝って道具の手入れをしたり、切った木を運んだりしてきた。親のいうことを聞くというだけで、漆に興味があったわけではなかった。

ひたすら漆を掻くことを
自らの使命として

漆掻きの息子だったが、日本うるし掻き技術保存会の研修を受け、一通り学んだ。漆掻きはみなそれぞれ手法が違うので、教わった人のやり方をアレンジして自分のものにしていく。砂子田さんは、掻きの技術にむずかしいことはないという。ただ、「当たり前のことだけど」と前置きして、「木は生きているのでやさしく、大事に接する。出た漆はきれいに採ってあげる」と語る。

 どんな漆掻きに教えを受けたかと尋ねると、「研修の師匠は親父だったので……」と微笑む。しかし、本格的に掻きに取り組んだのは、2012年、父親が亡くなってからのことだ。同じ道の職人であり、一度は師事もしたが、父親はライバルでも師匠でもなかった。そうなる前にいなくなってしまった。手取り足取り教えられたことはないが、子どもの頃から見て覚え、その手の動きの速さが脳裏に焼き付いている。「いま、自分はそういうふうにはできていないと思う」と言うが、付けるキズは父同様に長めだ。長い方が多く収穫できるのだが、作業量は倍増する。「いっぱい出ると、しんどい。時間がかかるし。でも、がんばるときにがんばらないと」。手法は、今も試行錯誤の連続だ。

しんどいけれど辛くない

「ほんとうはやりたかったんだけど……」と、砂子田さんは振り返る。漆が売れない時期もあったので、父の代から漆一本に集中することはむずかしかった。しかし、父が亡くなり、母、妻も体調が思わしくなく、農業をそれまでのようにはできなくなったことが転機となった。自分ひとりでもやれることはと考えたとき、そばに漆があった。

 「親父はたまに『漆掻きはやらせたくない』と言うことがありました。理由? しんどいからです」。自分が携わりながら、息子には勧めなかった仕事。それがどういうことかは、砂子田さんの父も、父親から何度も言われたという「戦争に行ったと思え」という言葉から察しがつく。それでも、砂子田さんに掻きの仕事の辛さを問うと、少し考えてから、「自分のさじ加減でやるので、辛いという表現にはならない」という答えが返ってきた。

 そして「目標があるんですよ」と話し始める。「ひとつは、いちばんいっぱいとれたときの自分、もうひとつは昨日の自分」だという。昨日の自分を越えるために、その日とれた量と、天気や気温を日誌に付ける。漆掻きにしか作ることのできない貴重なデータだ。

 少し意外だったのは、掻きの仕事を「できるだけたくさん採ること」と、表現を限定的にしていることだ。「自分は採るのが専門。どれがいい漆かはわからない」。文字では誤解を招きそうだが、掻く以外のことは恐れ多いといわんばかりだ。自分が掻いた漆を買う人がいるという事実。それが、漆と自分への評価なのだ。「自分は、やらなければならないことをやる」、それだけだ。

 もうひとつ意外なのは道具。「親父は、カマは毎日研ぐけど、他の人と違ってキズをつける漆カンナは研ぎませんでした」。それを砂子田さんも受け継いでいる。「研いだカンナを使うと、すごく切れるなぁと思う」と、とぼけて笑ってみせたが、研がなければ刃は削られない分長持ちし、切れなくて困ることもないという。そのせいか、「道具に自分を合わせるので、特にお気に入りの道具というものもない」と、こだわらない。これまでの職人のイメージはすっかり覆された。

1本のウルシの木から採れる漆は牛乳瓶1本分といわれている。一筋の水を、ヘラで掻きとるという行為は、気が遠くなるような作業ではないだろうか。

1本のウルシの木から採れる漆は牛乳瓶1本分といわれている。一筋の水を、ヘラで掻きとるという行為は、気が遠くなるような作業ではないだろうか。

作業をする前に、ウルシの木の周辺もきれいに下刈りする。皮取カマで幹の表面の表面を平らにして掻き作業が始まる。

作業をする前に、ウルシの木の周辺もきれいに下刈りする。皮取カマで幹の表面の表面を平らにして掻き作業が始まる。

タカッポは、漆掻きが自分でつくる。ホオノキやシナノキの皮などが使われる。把手にも漆が触れるので黒く染まる。

タカッポは、漆掻きが自分でつくる。ホオノキやシナノキの皮などが使われる。把手にも漆が触れるので黒く染まる。

「死ぬまで漆掻き」が目標

以前とは形態が変わったが、農業も続けている。一般的に漆掻きは6月から11月頃まで続くが、砂子田さんは途中で農業に従事、その後また漆に戻り、収穫できるギリギリまで漆を掻く。枝を持ち帰って家でも掻く。この「枝掻き」は、効率が悪いため掻く人がいない。

 そこまでするのは、心配ごとがあるからだ。現在、浄法寺漆の注文は大幅に増え、生産が追いつかない。ウルシの木も盛んに植林されているが、収穫できるようになるまで15年以上かかる。かつては文化財修復などでも中国産が優位だったが、国産が取って代わった。浄法寺漆認証制度により使い手から指名され、浄法寺ブランドとしての地位を築いた。しかし、生産が追いつかない状況が続けば、また輸入漆に押されるのではないかと気がかりだ。

 枝から採れる漆は微量だ。それでも何人もがやれば量はまとまる。自分がやることで、やろうと思う人が出てきてくれればと願う。

 目標は死ぬまで漆掻きでいること。80代半ばの漆掻きはこれまで何人もいた。自分はそこまでできるか。父は78歳と少し早目に旅立ってしまったが、漆掻きであり続けた生涯に敬意と憧憬が混じる。「とにかく速く、ていねいに」と、父の口癖のような言葉を胸に刻み、飄々と、そして真摯に漆に向き合う。

砂子田さん

髭がトレードマークになってきた砂子田さん。2016年の浄法寺漆共進会(品評会)では、盛辺の漆で銀賞、末辺の漆で銅賞を受賞した。

うるしびとの物語

漆を掻くひと、漆を塗るひと、漆掻き道具をつくるひと…
この地域に生きる、うるしを生業として生きる人々の物語を集めました

小説で楽しむうるしの世界