「日本の文化」「国産漆の未来」などというと、とかく孤高の職人や作家をイメージしがちだ。だが、鈴木さんは、漆をごく自然に、ごく普通に生業として生きている人という印象だ。分業があたりまえだった日本の漆の世界にありながら、自ら掻いて自ら塗る、希有な存在だ。浄法寺では漆掻きとしても若手ホープである。
「若手といっても、私ももう50になるんですよ」と、鈴木さんは釘を刺す。もっと若い世代も地域おこし協力隊などで掻きを始めているし、同じく塗師であった人が、国産漆を使いたいけれど値が張るからと、自分で掻くケースも増えている。しかし、ここ浄法寺で独立した漆掻き・塗師としては、やはり若手だ。
福島県会津美里町に生まれた鈴木さんは、会津塗の勉強をしたうえで、浄法寺に来た。会津で漆を学んだが、国産の漆が使えない現状と改めて向き合った。それでも本物の国産漆を使いたいという思いで、地元福島で漆を掻いて、漆のスプーンを発表していた故・谷口吏(つとむ)さんに師事した。
鈴木さんの漆掻きの技術は、日本うるし掻き技術保存会の冊子としても刊行された。教えてくれた人たちの思いや技術が、鈴木さんの内に大切にしまってある。教わったときにはわからなかったことも、「このことだったのか」と理解する瞬間があるという。
漆を採ることがおもしろく、さらに極めるたくなり、日本うるし掻き技術保存会の研修を受けるため浄法寺にやって来た。研修が終わると、浄法寺塗を製作・販売する滴生舎の臨時職員に。そこで塗師としても働き、独立。いまや浄法寺の人である。首都圏でのシンポジウムなど、PRによく借り出される。それでも、「私に頼みやすいから来てるだけです。もっとすごい人たちがいますから」と話す。
「漆掻きは、うまくいくと採れる量が増えますから、やりがい、醍醐味がありました。最初はね」と鈴木さん。つまり、いまは、もっと塗りたいというのが鈴木さんの本音だ。漆は売れるから貴重な収入源。次の塗りの木地代となる。しかし、その分、製作期間が限られてしまう。いまは忙しくて、ほとんど椀しかつくれない。「半年以上も漆掻きをしますし、1人でやっているので、お客さんにも待ってもらう状態なんです。1年でつくれるのは1000、いや500個くらいですね」という。
いまは、大きさの違う3種類の椀だけをつくっている。もともと「大」「小」の2種だったが、「(大より)もうちょっと大きいものはないですか」という問い合わせが多いので、サイズをアップさせ、新たに加えたのだ。「大きいものを欲しがる人は、雑煮とか入れたいみたいです」と教えてくれた。
漆掻きの基本の道具。右から漆カンナ、ヘラ、皮取りカマ。これにチェンソーやヘルメットもつく。
木地は、漆掻きの研修生だった県外の人に頼んでいる。形と色の妙。これは、ごはん用の椀を意識してつくったもの。
鈴木さんの椀の赤は、とても深い色だ。「浄法寺漆がよくて買ってくれているかはわかりませんが、買ってくれる人は色がいいといってくれますね」と話す。鈴木さんの赤は、好きなワインレッドをイメージしてつくったもの。しかし、漆の色は季節によっても、気候でも違ってくる。湿度と温度と気候で、より艶が出たり、黒っぽくなったり。同じ分量でも異なる。乾かし方によっても違う。だから、めんどうだ。
「生活のためにやってます。この年で転職もできませんから。やるしかないですよ」と笑うが、つくりたいものはちゃんとある。四角い盆や重箱。それから、いま中断している木地の木目が見える木地呂塗りもつくりたいという。
塗られたばかりの漆は、樹液の質感がまざまざと伝わってくる。
山入りのときは、山で二礼二拍手一礼し、ケガをしないようにと祈る。実際に、熊に威嚇されたこともあれば、春先にスズメバチの巣を壊してしまったこともある。最近は少ないが、マムシにもカモシカにも会う。車で山奥まで入るから交通事故も怖いし、掻いた木を倒すときのチェンソーも気をつけている。いまのところ、山の神さまに守られてはいるようだ。
「私が来た15年前は、『漆は売れなくてもしょうがねんだ』って時代でした。(漆が売れなくても)おじいちゃんたちは年金で暮らせますが、若い(世代は収入が無い)と生活ができないので。自分は塗りやってましたから、そのつながりで漆を使ってもらいました。個人作家さんには、ずっと助けてきてもらってきました」という鈴木さんは、塗師でもあるから塗りやすい漆がわかる。それは強みだ。
さらっとして塗りやすいもの。透明度が高いもの。透明度が高いと発色もよくなる。データはないが、「薄く塗り重ねるのが、いちばん堅くなる」と感じている。でも、「いい漆とか、わるい漆って、ないと思います。どういうものに使いたいか、塗る人の好みだと思います」
浄法寺に来ることは、師匠の勧めでもあった。谷口さんは、鈴木さんが浄法寺で修業を始めると毎年、様子を見に来てくれた。「不肖の弟子が心配だったんでしょう」と鈴木さん。「まず、人間性にひかれました。漆にも表れていました。ストイックで、ちゃんと漆に向き合って。お客さんとも向き合って」と、師匠を偲ぶ。漆掻きをする姿も、つくっている姿勢も敬愛していた。「師匠も、漆掻きを(岩手県)一戸町の砂森さんに教えてもらって、その技術を師匠から私につなげてもらっています。だからそれを私が次の世代の誰かには、つないでいきたいという使命感はあります。いま、まだいませんけどね」と、先を見据える。
我が子にも継がせたいかと問うと、「継がせません!」と、きっぱり返してきた。しかし、それから少しおいて「でも、日本がもっと伝統を大事にする国になったら考えます」と、漆の未来への期待を口にした。鈴木さんは、漆に関して浮かれた話も格好つけたことも言わない。漆に対し、とても真摯な姿勢でいる人だ。20年後、鈴木さんの子どもが後を継いでいたら、「日本は伝統や文化を大事にする国である」という証拠になるかもしれない。
独立の際に準備してもらった工房の看板。