山の神さまに拝む

漆掻き 工藤竹夫さん

キャリア60年のプロフェッショナル

20年以上前、浄法寺で「日本うるし掻き技術保存会」が発足した。現在、その会長を務める工藤竹夫さんは、二代にわたる漆掻き職人だ。父親に弟子入りし、60年を超えるキャリアを持つ。「年齢が多いっていうだけで、やらせでいただいてますけど。でもまあ、20年以上掻かないと、木のことはわかんないと思う」と笑う。

きれいな仕事が、
いい漆を採る。

このあたりでは、漆掻きが山に入るのは、雑節でいうところの入梅(6月11日頃)と決まっている。山入りの前には、内側が赤くて外側が黒い御山膳に御神酒と塩、頭のついた鮎などの魚2匹を捧げる。そして、「作業小屋で道具を並べて、山の神さまに拝む。今年は何百本掻きます」とお願いする。また、ウルシの林に塩をまく。その年の漆掻きが終了すれば、また、小屋で感謝する。

若い頃は、ただ木にキズをつけていたと振り返る。職人かたぎの父が、漆掻きの技を教えることはなかった。教わったのは、道具の作り方や「止まらないで一気にやれ、漆がムダにならないように速く採れ」といった基本だけ。頼りになるのは、自分の経験だ。「道具の使い方もそう。いろいろな知恵を絞る。その年に掻く山のうちの何本かを研究用に使いました。いろいろな掻き方を試したり、定規で測ったりして、データをとっていた。いまの漆掻きの研修生は量を採ることを重視されるから、そんな時間もないでしょうけどね」と話す。

経験こそが掻きの技術になる

いまはカレンダーにちょっとメモするだけだが、以前は約30年にわたって日報を書いていた。3年ほどの記録が、ノート1冊分。その日の山でどれだけ採れたかを記しておく。そして、それより下げることなく、毎日、収量が上がっていくように採るという。漆は自然の恵みで、コントロールなどできないように思えるが、工藤さんは「できます」と断言する。

その自信は、自分で見つけた答えに裏付けられている。師匠が教えてくれない分、自分で考える。試す。記録する。そして、行動を決めてきたのだ。皮の厚い木、太い木、傾斜地の木、畑の脇の木……と、異なる状態の木それぞれに合う道具を用意する。道具をつくる鍛冶屋にも細かい要望を出す。

また、工藤さんは、同じタイミングで漆がとれるように、足を運ぶ時間帯が一定になるようにと心がけて山をまわる。「朝掻くところは、いつも朝。午後に行くところは、必ず午後と決めています。親父の時代から守ってましたね。時間が変わったり、気候が変わったりすると、山の理屈が変わってくる」からだという。同じ条件だから、日々の違いを見極めることができるのだ。 山は人の都合に合わせてはくれない。人が合わせていくしかない。雨の日は休む。雨で作業ができないからではない。漆自体は出るのだが、雨で漆が流れてムダになるうえ、木が弱る。雨が止んでも幹が濡れている間は掻かないという。

道具は鍛冶屋と自分でつくるもの

「この出っぱりは、刀のつばといっしょ。すべって手を切らないようについてる。柄のすげかたにも決まりがある。師匠の元で修業した人はわかると思うけど」と、大切な漆掻きの道具を見せてくれた。道具の金属の部分は鍛冶屋が用意するが、「柄」は漆掻きがつける。皮取りカマの突起部分、手が抜けないような漆カンナの柄のおしりの膨らみなど、道具の形状一つひとつに大切な意味がある。「新しいカンナを使っても、うまくいかない。切れすぎるんだ。鍛冶屋に細かく注文はつけるが、道具は鍛冶屋だけではできない」。

工藤さんは毎年、新しい漆カンナをつくる。その試し掻きを、その木が最期となる裏目掻きという段階で使う。道具を慣らして、翌年の漆が最も採れる7月下旬から8月にかけての盛の時期にベストな状態をつくる。古いものも何本か手元に置く。砥石も道具それぞれに合わせて持ち、どう研ぐかを考える。そうやって、木に合わせて使い分けるのだ。

「10年でも、20年でも使える」というヘラ。中学を出て弟子入りしたときの小さなヘラは「枝掻き用に使っている」そうだ。ということは、この黒々としたヘラは60年にわたって工藤さんを支えてきたことになる。

愛用の道具たち

愛用の道具たち。右から、皮取りカマ、枝集めに使うナタ、60年使ってきて小さくなったヘラ。そのとなりは通常サイズ。漆カンナも複数持ち歩く。大きな柄のエグリは、木が堅くなる時期に使う。タカッポから漆を移すときに底をはだけるゴングリ、樽にかけて漆をすりきるカケゴ、最後にゴングリの漆をはだけるキベラは、長年の使用で天然漆のいい色に染まっている。

掻いた漆を入れるタカッポも毎年、自分の山で取ったホオノキの皮で手づくりしている。実は、このタカッポ、侘び寂びの茶の湯の世界で、ちょっとした人気を集めている。茶花を飾る漆桶(しっつう)として、買い手がつくそうだ。黒く光るタカッポを持ち上げると、桶の部分だけが、くるりと回った。繋がって見えるが、ひもの部分が回るのだ。これも師匠から受け継いだ方法だ。「たいていの人は、ただ結わえてると思う」と、結び方を実演してくれた。

タカッポ

1年で漆の色に染まるタカッポは、茶の席の花立てとしても利用されるという。

砥石

砥石は、サイズも形状も材質も、道具に合わせていろいろ揃えている。

木が育ってこそ漆掻きも育つ

いま、工藤さんが心配するのは、ウルシの原木量だ。工藤さんは、「この木ならどれくらいとれる」と計算できる。それだけに山に入って数えると、現状では木が足りなくなると危惧している。「漆掻きが増えたって、漆の採れないキズのつけかたをしていては、木がムダになるだけ。それに、(木を)育ててくれる人がいて、掻くことができるのに、今は年数の経った太いのも細いのも同じ値段(で漆掻き職人が買い取っている)。これでは植えてくれる人が増えない」と、将来を案じている。

教える立場にもある工藤さんは、これまで12〜13人を指導してきた。いまも3〜4人が続けていて、そのなかには二戸市の研修制度で集まった研修生もいる。だが、「短期間で教えても、採れることは採れる。でも、よい漆は採れない。口でいうのはむずかしいけれど、よい漆というのはキズのつけ方、ヘラの使い方が影響する。キズのつけ方、掻き方ひとつで、漆の色艶が違います」という。

 なめらかに漆カンナが入らないと、キズのなかに段差ができる。そうするとヘラがひっかかる。漆がムダになる。漆カンナには、「メサシ」と呼ばれる部分がある。羽根側でつけたキズに、漆を出やすくする切込みを入れるためのものだが、へたに使うと乳白色の樹液ではなく透明な水が出て、止まらない。そうすると木が死んでしまう。だから、「メサシは、しょっちゅう使うなと言ってます。そのときは採れるけど、それで木の上下が遮断されるから出てこなくなる。使わないほうがいい漆が採れる」と語を強めた。掻ききるための技術の向上、価値に見合った木の値段定着が、これからの浄法寺の挑戦になる。

工藤竹夫さん

道具入れも、タカッポも、すべて、漆掻き自身が自分でつくる。

小屋の外に掻き終えたウルシの木が並んでいた。研修生のものも多い。見ると、漆が垂れたあとが木を黒く染めていたり、ずいぶん色白だったりと、その跡はさまざま。「この白っぽいキズは、水だったやつなの。ほんとはもっと掻けたんだ」と、ちょっと残念そうに工藤さんはつぶやく。木につけた辺(キズ)の目も不揃いだ。「木の目を揃える気持ちがあれば、漆もそれなりに、いいのが採れる。なんでもきれいな仕事をするっつぅごと。その気持ちから、いいものが採れると思います」

 工藤さんが掻いた木は、黒いラインがくっきりと浮かびあがっている。ムダのない、きれいな仕事がそこにあった。

うるしびとの物語

漆を掻くひと、漆を塗るひと、漆掻き道具をつくるひと…
この地域に生きる、うるしを生業として生きる人々の物語を集めました

小説で楽しむうるしの世界